キスリング Moise Kisling

1891年  オーストリア=ハンガリー帝国の大公国であるクラクフ大公国(現在の
       ポーランド南部)の首都クラクフにユダヤ人の子として生まれる。
       地元の美術学校で彫刻科に進もうとしたが定員がいっぱいで進めず、絵
       画科で学ぶことになった。デッサン力を認められパリ行きを勧められる。
1910年  19歳でパリに出て、モンマルトルで本格的に絵を描き始める。
1912年  ピカソ、ブラックらの活動拠点モンマルトルのバトー・ラヴォワール(洗
       濯船)に移り住む。同年、サロン・ドートンヌとアンデパンダン展に出品。
1916年  第一次世界大戦では、自ら志願して外人部隊に従軍。負傷により兵役を解
       かれてスペインで療養する。その功績によりフランス国籍を得る。
1919年  ギャルリー・ドリュエにて個展を開催。好評を博し、1920年代には画家と
       して成功を収める。
1940年  第二次世界大戦勃発後、再び志願して従軍するがフランス降伏後にアメリ
       カに亡命し、ニューヨーク、ワシントンD.C.で展覧会を開いた後にカリフ
       ォルニアに居を定めた。
1946年  フランスに戻る。
1953年  南フランス・ヴァール県の港町サナリー・シュル・メールにて死去。
       同県のラ・ヴァレット墓地に埋葬されている。

第一次世界大戦後にパリに戻り、フランス軍高官の娘と結婚し、個展にも成功し生活は順風
満帆の人生が開けていった。モンパルナスにアトリエがあり、パリ派の陽気で面倒見の良い
キスリングは「モンパルナスの帝王」とも呼ばれた。肖像や裸婦、静物(特に花)などを描い
たが、特に異国情緒の漂う裸婦が代表的である。